2015年12月
2015年12月15日
ゲームができない
PS3を買って4年目くらいになろうとしている。毎日のようにゲームをしているわけだが、ついにディスクの読み取りがされなくなったというか、何度もディスクを入れ直してようやく認識されるほどになってきた。
なので、先日、ヨドバシで湿式のディスククリーナーを買った。早速、ディスクのブラシの部分に液体を垂らし、いざ挿入。しかし、何度も何度も入れ直しても認識されず。説明欄を読んでみると「認識がされない場合は別の原因が考えられます」と書いてあった。PS4も出たことだし、今さら修理に出すのもな~と詰んでしまった。
考えてみると、ディスク版ではなくPSストアでダウンロード版を買えば解決することである。最新のゲームは全てPSストアでダウンロードできるし、DL版はディスク版に比べて製造コストが掛からないため、値段も若干低い。ただ、デメリットとしては飽きてしまった場合やつまらない場合、売ることができない点だ。
PSストアでゲームを買うためには、PSNチケットやクレジットが必要だが、私はポイントサイトで得たポイントを現金化してファミマでPSNチケットを手に入れている。実質無料というわけだ。PS Plusも無料で加入することもできる。
本題と大きくそれてしまったが、結果的にディスククリーナーを買った意味がなかったというのが結論である。
mahoutukau at 14:38|Permalink│Comments(0)
2015年12月03日
絶えない子どもの虐待
よく耳にすることだが、虐待を受けても、子は、決して親を悪くは言わないという。
しかしそれは子の真意ではない。「バカやろう」「なんでこんな痛い目にあわせるの」と本音では、罵りたい気持でいっぱいなのです。
親を「思う」気持もないとは言えないが、寄る辺を失う、その怖さを本能的に知っているから、子は親を悪く言えないでいる。無意識の中でする保身の術。
「どうせ自分が我慢すればすむのだから」と。
子供は1人になるのが怖い、恐ろしい。自分では防ぐことの出来ない修羅場に怯えるのです。社会にあっての自分の無力さをわきまえている。
また、優しく接してくれる人には、その優しさに媚びたりもする。それも執拗に接してくる。
子はそんな自分を「いやな自分」と感じても、そうやって一時を楽しむ。恐怖から逃れ、空想の世界に遊ぶのです。
信頼の環境にある親子は、よく諍いをする。言い合ったり、ふてくされたり、泣いたり、甘えたり・・・。親と子で自分の心を見せ合う。そこに人間の絆が生まれ愛が育つ。
虐待を受けてる子はその経験が、皆無に近い。自由がなく服従の日々のみで。しまいには成長につれ歪な精神が噴出すことになる。
子には生来、仏性があるという。そこに光を当て、輝かせるのが親の愛情。教育は力を引出すもの。その役割は家庭なのです。
意味なく悲しみを受け「勘弁して」と逃げることなく耐える子らに、擬似でも「家庭」を与え豊かな心を育む努力を怠ってはならない。保護施設はもとより「社会」はその責務がある。
母親は身体ばかりか心も産むと言われます。「私の母は、私を生涯にわたって産み続けました」というのはロマン・ロランの言葉です。
日本人よ、何故、子どもを、虐待する。大変なことが起こらないうちに、父親も母親もシッカリしなければいけない。
mahoutukau at 09:30|Permalink│Comments(0)